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東京高等裁判所 昭和54年(ネ)1435号 判決

控訴人

上原孫市

右訴訟代理人

山花貞夫

前田裕司

亡上原多まゑ訴訟承継人兼被控訴人

上原武男

被控訴人

上原伸明

外五名

右七名訴訟代理人

下平秀弘

主文

一  被控訴人上原伸明、同上原粛、同上原秀樹、同上原剛、同中澤富子、同藤森照子に対する本件各控訴を棄却する。

二  原判決中被控訴人上原武勇に関する部分を次のとおり変更する。

1  被控訴人上原武勇は控訴人に対し、諏訪市大字湖南字上ノ平七七二七番畑八五平方メートル及び同所七八九〇番畑一六一平方メートルにつき、長野地方法務局諏訪支局昭和五〇年六月一〇日受付第五八九六号による所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

2  控訴人のその余の請求を棄却する。

三  控訴人と被控訴人上原伸明、同上原粛、同上原秀樹、同上原剛、同中澤富子、同藤森照子との間の控訴費用は控訴人の負担とし、控訴人と被控訴人上原武勇との間の訴訟費用は第一、二審を通じて二〇分し、その一を被控訴人上原武勇の負担その余を控訴人の負担とする。

事実

控訴人は「一 原判決を取消す。二長野家庭裁判所諏訪支部が同庁昭和四九年(家)第二二七号遺言書検認事件において昭和四九年七月一日検認した遺言者亡上原保隆の昭和四七年一一月一〇日付自筆証書による遺言は無効であることを確認する。三 被控訴人上原武勇は①原判決別紙第一物件目録記載の不動産につき、長野地方法務局諏訪支局昭和五〇年六月一〇日受付第五八九三号により登記した大正四年八月五日上原萬治家督相続・大正一三年七月九日上原保隆家督相続・昭和四八年一二月六日相続を登記原因とする所有権移転登記、②同第二物件目録記載の不動産につき、同支局昭和五〇年六月一〇日受付第五八九六号により登記した大正一三年七月九日上原保隆家督相続・昭和四八年一二月六日相続を登記原因とする所有権移転登記、③同第三物件目録記載の不動産につき、同支局昭和五〇年六月一〇日受付第五八九八号により登記した昭和四八年一二月六日相続を登記原因とする所有権移転登記、④同第四物件目録記載の不動産につき、同支局昭和五〇年六月一〇日受付第五八九一号により登記した所有権保存登記、⑤同第五物件目録記載の不動産につき同支局昭和五〇年六月一〇日受付第五八九四号により登記した所有権保存登記、⑥同第六物件目録記載の不動産につき、同支局昭和五〇年六月一〇日受付第五八九七号により登記した所有権保存登記、⑦同第七物件目録記載の不動産につき、同支局昭和五〇年六月二六日受付第六四六四号により登記した所有権保存登記、⑧同第一〇物件目録記載の不動産につき、同支局昭和五〇年六月一〇日受付第五八九二号により登記した亡上原多まえ名義の所有権保存登記の、各抹消登記手続をせよ。四 被控訴人上原粛、同上原剛は、同第八物件目録記載の不動産につき、同支局昭和五〇年六月一〇日受付第五九〇一号により登記した昭和四八年一二月六日相続を登記原因とする所有権移転登記の各抹消登記手続をせよ。五 被控訴人上原秀樹は、同第九物件目録記載の不動産につき、昭和五〇年六月一〇日受付第五八九九号により登記した昭和四八年一二月六日相続を登記原因とする所有権移転登記の各抹消登記手続をせよ。六 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの連帯負担とする。」との判決を求め、被控訴人らは控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張及び証拠の関係〈省略〉。

(控訴人の主張)

1  本件遺言は自筆証書遺言としての方式にかなつていない。

本件遺言書は、第一葉(乙第一号証の一)が白色の縦書き書簡用紙に毛筆で墨書されたもので「昭和四十六年拾月十八日」の日付があり、第二ないし第四葉(乙第一号証の二ないし四)がいずれも薄黄色の横書き書簡用紙で大部分は黒インクを使用したペン書きであるが、一部に青インクを使用したペン書きの部分及び黒のボールペン書きの部分があるほか、第四葉の末尾に「以上後日のため認む 昭和47年11月10日 父上原保隆」という毛筆墨書の部分がある。そして第一葉と第二葉の間にだけは割印があるが、それも第一葉の側に三個・第二葉の側に二個であつて一致していない。従つて、

(一)  本件遺言は全文が同一の機会に書かれたものではなく、特に第二葉以下は少くとも四つの日を異にする機会に書かれたものであるというべきである。ところが民法九六八条はその全文及び日付を自書すべき旨を規定しており、その趣旨は全文を同一の日に自書することを要求するにあると解されるから、この点において本件遺言は無効であるというべきである。

(二)  本件遺言には一綴りの遺書の中に二つの日付があるところ、第一葉の全部と第四葉の毛筆書きの部分とは夫々その日付の日に記載されたものとみられるが、第二葉以下は、その体裁から黒色ペン書きの部分が第四葉末尾毛筆書きの部分の日付と同日か又はそれ以前に書かれたであろうと推測されるものの、青色ペン書きの部分及び黒色ボールペン書きの部分は、相互の前後関係も第四葉末尾の日付との前後関係も、これを判定すべき資料がない。

従つて右二つの日付は、いずれも遺言全部の日付ということはできないから、結局本件遺言は日付の記載を欠くものとして無効といわなければならない。

2  仮りに右方式違背を理由とする遺言全部の無効の主張が容れられないとしても、

(一)  本件遺言のうち被控訴人武勇に関する部分は、控訴人の同意を停止条件とするものである。そのことは、原審において主張した亡保隆と控訴人との間の一時的な反発にもかかわらず継続していた協力依存の関係及び亡保隆と被控訴人武勇との間の融和の欠けた状態を考慮すれば、遺言書の文言だけからでも十分読みとれるところであるが、更に亡保隆が本件遺言の前後毎日つけていた日記を見ればその心境の記事から一見して明確になる筈である。ところが、その日記は被控訴人武勇の手裡にあり、同被控訴人は、原裁判所からその提出命令を受けながら、右日記は所在不明であると称してこれに応じない。従つて控訴人の右主張は真実と認められるべきである。

ところが、被控訴人は本件遺言の被控訴人武勇に関する部分に同意したことはなく、却つてこれに同意する意思のないことを明らかにしたから、右部分は無効に確定したというべきである。

(二)  そうでないとしても、同被控訴人に関する「前述以外の土地其の他の財産は全部与える」との記載は、黒色ペン書きの本件遺言の本件に、後日(それも第四葉末尾の日付よりも後である可能性を否定できない時期に)黒色ボールペンをもつて加筆されたものであることが明らかである。

そうすると、右文書の追加は民法九六八条二項の「自筆証書中の加除その他の変更」にあたるというべきところ、その加筆について同条項の定める方式はふまれていないから、追加された同部分は遺言としての効力を有しない。

3  仮りに以上の主張が容れられないとしても、本件遺言において控訴人の相続すべき遺産のうち、「山林 程沢 7677 6反八畝歩」は黒色ボールペンをもつて二本の線で抹消され、「消」の文字が横に記載され且つ夫々その箇所に押印がなされているが、その削除については民法九六八条二項の定める加除の方式が履践されていないこととなるから、その抹消はなかつたものとして取扱われなければならない。

ところが、右抹消がなされたことを前提として、右山林についても被控訴人武勇が相続したものとして同被控訴人名義に登記がなされている。従つて、被控訴人武勇は、原判決別紙第五物件目録五番目の字程沢七六七七番山林六七四三平方メートルについては、右理由によつてもその抹消登記手続をしなければならない。

また、同じく控訴人の相続すべき遺産としてその次に記載されている「二本松上山林(落葉松)」は、原判決別紙第二物件目録一〇番目及び一一番目の字上ノ平七七二七番畑八五平方メートル及び同所七八九〇番畑一六一平方メートルを指すものであるが、右二筆についても被控訴人武勇名義に登記されている。従つて同被控訴人は右二筆についても同様該登記の抹消登記手続義務を免れることができない。

4  訴訟承継前の第一審被告上原多まえは昭和五三年九月二四日死亡したが、同人は生前公正証書によりその所有する財産全部を包括して被控訴人武勇に遺贈する旨を遺言していたところ、控訴人が遺留分減殺の請求をしたほか、他に遺留分権利者から減殺請求はなされていないから、その相続人たる地位は被控訴人武勇と控訴人とが有することとなり、従つて多まえに対する本件遺言無効確認ならびに抹消登記手続請求の被告(被控訴人)適格は被控訴人武勇が有することになる。

よつて控訴人はその承継人としての被控訴人武勇に対し右遺言無効の確認ならびに抹消登記手続を求める。

(右主張に対する被控訴人らの答弁)

1  控訴人主張1ないし3は、本件遺言書の控訴人に関する部分に「山林 程沢 7677 6反八畝歩」と一旦記載され、これが控訴人主張のような方式で抹消されていること、及び右記載に続いて「二本松上山林(落葉松)」の記載があること、ならびに右「二本松上山林(落葉松)」という表示が上原家内部の呼称として控訴人主張の畑二筆をさすものであること、を認めるほか、その余は争う。

2  本件遺言は、乙第一号証の一の第一葉が昭和四六年一〇月一八日に、同号証の二ないし四の第二ないし第四葉が昭和四七年一一月一〇日に、夫々作成されたものであつて、二通の遺言書が一つに編綴されているにすぎない。仮りに乙第一号証の一に同号証の二ないし四と異なる遺産の配分を定めた別紙が以前付属していたとしても、その定めは昭和四七年一一月一〇日の遺言により乙第二号証の二ないし四のとおり変更されたものであつて、その内容には何ら牴触するところがなく、二回にわたる遺言としていずれも有効である。

3  本件遺産のうち、被控訴人武勇に関する部分だけが停止条件付であると解すべき理由は存在しない。

4  本件遺言中に控訴人の取得分として一旦記載された「山林 程沢 7677 6反八畝歩」は、二本線で抹消した上に押印し、その横に「消」の字を記載した上更にその箇所に押印してこれを削除する趣旨を明確にし、通常の文書の加除変更としては十全な方法をとつてあるばかりでなく、署名に替わる押印もされているから、さきの記載は有効に削除されたものというべきである。

なお、それに続く「二本松上山林(落葉松)」は、その記載自体からは対象を特定することができない。控訴人主張の二筆の畑は公簿上の地目だけでなく現況も畑であつて、これを右のように表示しても何ら合致する点はないから、遺言書の表示としては無効というほかはない。

のみならず、右記載は黒色ボールペンによる新たな加筆であると見られるところ、民法九六八条二項の方式が履践されていないから、加筆の効力はない。

5  控訴人主張4の事実は、控訴人が遺留分減殺請求をしそれによつて控訴人の相続人たる地位が留保されているとの点を争うほか、その余は認める。従つて訴訟承継前の第一審被告上原多まえの相続人の地位を有するものは被控訴人武勇のみということになるが、同被控訴人が単独で亡多まえの訴訟を承継するという結論自体はこれを争わない。

(双方の新たな立証)〈省略〉

理由

一請求原因一の事実、同二の(五)のうち本件遺言の内容に関する部分、及び同四の(一)の事実は当事者間に争いがない。

二控訴人は、亡上原保隆のした本件遺言は、全文を同一の日に記載していないこと、及び二つの日付がありながらどの部分が何時記載されたかが明らかでないことを理由として、自筆証書遺言の方式に違背した無効なものであると主張する。

しかしながら、成立に争いのない乙第一号証の一ないし五の本件遺言書(ただし同号証の五は表に「遺書 上原保隆」と毛筆で墨書し名下に押印した封筒である。)のうち、第一葉(同号証の一)は、全文が毛筆による墨書であつて末尾に「昭和四十六年拾月十八日」という日付の記載と「父 上原保隆」という署名押印があるところから、全体が同日記載されたものと認められ、控訴人もそのこと自体は争つていない。

また、第二ないし第四葉(同号証の二ないし四)は、いずれも同じ横書きの書簡用紙に大部分は黒インクのペン書き、一部はブルーブラックインクのペン書き及び黒色ボールペン書きで、推定相続人全員への推定遺産の配分が記載され、これに引続き第四葉の末尾に毛筆墨書で三行に「以上後日のため認む 昭和47年11月10日 父上原保隆」と記載し氏名の右脇に押印してあり、これが昭和四六年一〇月一八日付の第一葉と合わせて前掲乙第一号証の五の封筒に納められていたところから、その全体が相当の期間をかけて練り上げられたものであり、その間一応得られた成案に立脚して先ず黒インクのペン書きで記載し、これに補充、訂正を加え、それ以上改めるべき点はないとして最終的な遺言書とすることを決断したときに末尾の墨書部分が付加されたものと推定される。従つてそのどの部分が具体的に何年何月何日に記載されたかを厳密に確定することはできない(ただし末尾の墨書部分はその日付の日に作成されたものと認められ、控訴人もそのことを争つていない。)けれども、墨書以外の部分も墨書の日付の日までには記載されていて、これが右日付の日に遺言内容として確定されたものと認めるのが相当である。

そして、民法九六八条は数次にわたり日を異にして自書した文書をあわせてこれを一つの遺言にまとめ、とりまとめた日をもって遺言の日付とすることを禁止するものとは考えられないから、右のように一通の自書した文書に補充、訂正を加えてゆき、これを仕上げた段階でその日を日付として遺言書とすることも当然許されるものというべきである。

従つて本件遺言は、具体的な財産の配分を別紙に譲り相続人間の和合と協力を要請した第一葉の遺言と、具体的な財産の配分を定めた第二葉ないし第四葉の遺言との二つの部分から成るが、その間に何ら牴触するところはなく、夫々の内容及びそれが一綴りとなつている状態(このことは控訴人の自陳するところである。)から考えれば、右両者は、全体として一個の遺言を形成しているものというべく、この場合、本件遺言の日付は、特段の反証のなら本件においては、後の日付である昭和四七年一一月一〇日であると認めるべきである(本件遺言の第一葉と第二葉との間の割印の関係や、第一葉の内容からすると、第一葉には以前第二ないし第四葉とは異る内容の別紙が付属させられていたかとも見られるが、仮りにそうだとしても、その後の遺言でこれを牴触する第二ないし第四葉の遺言によつてそのとおりに改められたことになる。)。

従つて本件遺言が全体として自筆証書遺言の方式に適合せず無効であるとする控訴人の主張は採用することができない。

三控訴人は、本件遺言の被控訴人武勇に関する部分は停止条件付であり、同被控訴人に関する遺言は右以外の推定相続人とは日を異にして別個になされたもので、昭和四七年一一月一〇日付前掲乙第一号証の四が同被控訴人に関する遺言であり、同四六年一〇月一八日付の乙第一号証の一及びその別紙としての同号証の二、三を合わせたものが他の推定相続人に関する遺言であると主張する。

しかし昭和四六年一〇月一八日付の遺言は乙第一号証の一の第一葉のみで、同号証の二ないし四の第二ないし第四葉が昭和四七年一一月一〇日付の遺言であることは前叙のとおりであり、四葉から成る本件遺言書を右控訴人主張のように分ける根拠はその体裁・内容のいずれからも発見することができない。

そして〈証拠〉を総合すると、

亡保隆は農業のかたわら昭和一〇年頃から生命保険の代理店を営み、その後保険代理店の仕事に専念するようになつたところから、農業の方は、当初は妻の多まえが、のちには長男の控訴人が、その中心となつて経営にあたり、戦後二反歩ほどであつた自作田を小作田の返還を受けて七反歩余にふやし、ほかに畑四反歩ほどを耕作して多人数の家族の生活を支えて来たこと、

控訴人は、右のような家庭事情から農家の長男として農業に専心すべきことを期待され、これに応えて上級学校へも進まず農業委員会の職員となる機会があつたがこれも断念し、一家の支柱となるつもりで青年期を農事に励んだこと、

その一方控訴人は、かねて右の程度の営農規模では十分な生活水準を確保することは困難であり農村においても経営可能な他の事業をおこす必要があると考え、その方途を検討していたところ、昭和三五年頃日東光学株式会社に勤務する友人からレンズ研磨の下請をすることをすすめられ、その後右友人のはからいで同会社に一年ほど通つて技術を習得した上、父保隆にその作業所を作るよう申し入れたこと、保隆は右事業の成否を危ぶみ当初必ずしも乗り気ではなかつたものの、結局自宅の敷地の一部にささやかな作業所を設置することに同意し、その費用を負担して控訴人の設計に従い作業所を建て、控訴人が日東光学から借入れた数台の機械を据え、何人かの人を雇つてレンズ研磨の仕事をはじめるのを助けたこと、

かくして昭和三七年四月控訴人を中心として上原芯取所の事業は発足し、その後順調に業績をあげたが、保隆は、家長としての意識から、右事業をも家業の一つとして、実際にその経理面を担当するほかその運営全般をも支配しようとしたこと、

控訴人は昭和三七年一〇月結婚したが、結婚をひかえ、保隆に対し、従来自分が中心となつて運営して来た農業とレンズ研磨業は全部自分にまかせてほしいと申し出たが、保隆は他の子供がまだ独立するに至つていないという理由でこれを拒んだこと、控訴人は結婚後も保隆に右要求を続けて譲らず、一方嫁して来た控訴人の妻も控訴人の父母や姉弟たちとうまく折合わなかつたことなどから、控訴人は次第に保隆と強く衝突することとなり、結局昭和三九年一〇月家を出て肩書住所の別宅に移るとともに、その敷地内に作業所を建て、上原芯取所の機械の一部を移し、従前の取引先との関係を承継し、商号を上原光学とあらため、以後殆んどレンズ研磨の仕事に専念して今日に至つていること、

なお控訴人が家を出て保隆と別居するにあたつては親族会議が開かれ、席上控訴人は保隆から、右別宅の土地建物と田一反歩(原判決別紙第一一物件目録末尾の六六三〇番の一田九六五平方メートル)を与えるが、それ以外は一切相続させない旨を申し渡され、また昭和四四年中保隆から右六六三〇番一の田の所有権移転の手続をすると言われたが、これに応ずれば保隆のさきの申し渡しを承認したことになると考え応じなかつたいきさつがあり、別居後当分の間控訴人と保隆の住む本家とは相互に往き来を絶つていたこと、

一方、控訴人の弟たちは成人するにつれ職を求めて次々に都会に出たが、四男の被控訴人武勇は昭和三六年中失職帰郷していたので、翌年発足した上原芯取所の仕事に加わり、以後レンズ研磨の経験も積んでいたことから、昭和三九年一〇月控訴人が本家を出て独立したあとは、保隆と力を合わせて新たな取引先を開拓し、従前の作業所を上原光機製作所と改称して引続きレンズ研磨の仕事に従事して来たこと、

同被控訴人は昭和四七年四月結婚したが、結婚をひかえてさきの控訴人と同様、保隆に上原光機製作所の経営を自分に譲るよう申し入れ、これを拒否されたことから家を出るといつて保隆と争い、家を出るときは裸で出されても異存はないという趣旨の念書を書かされるなどのことがあり、仲人をつとめることに決まつていた親族の上原重幸から仲人をことわられるといつたいきさつもあつて、一時期保隆と対立したりしたこと、ところが同被控訴人に嫁して来た妻は保隆から気に入られ他の家族・親族とも折合いが良好であつたところから、被控訴人武勇夫婦は同居している保隆夫婦との間に大きな摩擦もなく、保険代理店の仕事もなくなつた保隆らの生活を支え、母の多まえや二人の姉四人の兄弟(すなわち武勇以外の被控訴人全員)からも本家の後継者となるべきものと目されて来たこと、

尤も保隆も晩年は控訴人と往き来するようになり、控訴人に頼んで五男の秀樹を上原光機に雇わせたことがあるほか、死亡直前の入院中は、控訴人が子供を連れて見舞に来るのをよろこび、墓地の分筆手続を頼んでそのために実印を預けたりした、ということもあつたが、その入院治療費は被控訴人武勇が負担し、葬儀の際の喪主も同被控訴人がつとめたこと、

以上のような事実経過の中で、昭和四六年一〇月一八日に第一葉の遺言が、同四七年一一月一〇日に第二ないし第四葉の遺言が、なされたものであること、

を肯定することができる。

従つて保隆が本件遺言をすることを決意した動機は、長男の控訴人が本家を出てそのあとに被控訴人武勇がおさまつたことから、将来両者の間に本家の承継ないし本家にふさわしい主要な財産の相続に関して紛争が生ずることをおそれ、これを予防しようとしたことにあると考えられ、昭和四六年一〇月一八日付第一葉の遺言が、別に定める財産の配分に不服をとなえず兄弟が協力して老母に孝養し、争つてはならない旨を示し、昭和四七年一一月一〇日付の第二ないし第四葉の遺言が何回かの検討修正のあとを示して財産の配分を定めていることからすると、その配分の定めは長い期間の熟慮の結果決断した確定的なもの、すなわち条件付ではないものと解するのが相当で、その被控訴人武勇に関する冒頭の部分に「芳子の指導により良い心持になれば兄弟の了解を得て本家を相続し立派に義理其の他を行ふ事」とあるのは、特に本家を相続すべき同被控訴人に対して先ず精神的な遺誡を記したにほかならないものと認められ、その趣旨は、同被控訴人が妻に迎えた芳子は本家の嫁として信頼できると思う、それゆえ、芳子の調整によつて親子兄弟との和合を回復し、結婚前に家を出るといつて争つた時の気持がしずまり、本家の仕事に専心する気になつたら、自分が本家を継ぐについて兄弟の間に感情的なしこりが生じないようよく了解を求め、将来立派に本家としての負担に任じそれらしい交際をしてゆくように心掛けよ、というにあると考えられる。右文言を控訴人主張のように、被控訴人武勇に関する部分を控訴人の同意にかからしめ本家の承継や主要な財産の配分を両者の協議にまかせた趣旨と解することは困難であるといわざるを得ない。

控訴人は、保隆は生前日記をつけており、その日記には控訴人の主張を支持するような心境が示されている筈であるところ、被控訴人武勇は原裁判所のした保隆の日記の提出命令に応じないから、前記控訴人の主張は真実と認められるべきであると主張する。しかし、控訴人は該文書提出命令を申立てるについて具体的にどのような記載があるかを明らかにしているわけではないから、仮りに被控訴人武勇が右日記を所持しており、その提出義務を負うものであるとしても、その不提出の事実から直接前記認定を覆えし同被控訴人に関する遺言が停止条件付のものであるとの控訴人の主張を真実と認めることはできないというべきである。

従つて停止後件付でなされた同被控訴人に関する遺言について、右条件が不成就に確定したとの前記控訴人の主張はこれを採用することができない。

四控訴人は、本件遺言のうち、被控訴人武勇の分として「前述以外の土地其の他財産は全部与える」と記載した部分は、黒色ボールペンで後日加筆されたもので、民法九六八条二項の「加除その他の変更」に該当するところ、その追加は同条項所定の方式に適合しないから無効であると主張する。

思うに、民法九六八条二項は、他人による遺言書の変造等を防止する趣旨に出たものであるが、同条項にいう「加除その他の変更」は、基になる記載があっての「加除その他の変更」である。そしてこの場合、当該遺言書の文言の中に生ずる余白は、右にいう基になる記載(いわば消極的記載)に当らないというべきである。けだし、法は、遺言書については、余白の字数或いは行数を明示し、余白を固定することまでを要求していないからである。このことは、公証人法三八条が、公正証書について、文字の挿入、削除の方式を規定するのに合わせて、同法三七条二項が、空白部分には墨線を引いて字行を接続させるべきものとしているのと対比されるべきである。従つて、遺言者が右文言中に余白に書き入れることは、前示民法の法条にいう加入に当らないというべきである。このように解することは、遺言書を作成する遺言者の通常の意識にも合致するものであろう。

これを本件についてみるに、前掲乙第一号証の四によれば、控訴人主張の「前述以外の土地其の他財産は全部与える」との記載は、黒色ボールペンを用いてあり、その前行の記載が黒インクを使用したペン書きであるのと異なるから、一般的には、前行に続いて書き進められたものとは認め難いが、前記条項にいう「加除その他の変更」には当らないというべきである。

従つて、控訴人の右主張は採用することができない。

五控訴人は、本件遺言中控訴人の取得分を定めた部分にある二本線で抹消された「山林 程沢 7677 6反八畝歩」は、その抹消の方式が民法九六八条二項の規定に適合しないから、抹消されないものとして取扱われるべきであると主張する。

右四に示した見解によれば、控訴人主張の右抹消は、民法九六八条二項の「加除その他の変更」に当ると解すべきところ、前掲乙第一号証の二によれば、右抹消は、原記載を黒色ボールペンによる二本の線で抹消しその部分に押印し、抹消部分の右脇に黒色ボールペンで「消」と記載して更にこれに重ねて押印する方式でなされていることが認められ、民法が署名を要求しているところを押印するにとどめている点は、方式に違背があるといわざるを得ないが、右署名の要求は、日常の証書作成の慣行からみて、厳格に過ぎる嫌いがあるばかりでなく、本件遺言では、抹消する旨を附記したうえ、少なくともこれに押印がしてあるから、押印もない場合と同視すべきでなく、殊に本件においては、その次の行に同じ黒色ボールペンで「二本松上山林(落葉松)」の記載が加えられていて、その記載自体から、遺言者の真実は控訴人には右七六七七番山林ではなく、二本松上の山林の方を与える(この部分が有効であると解すべきことは、後述のとおりである。)というにあることが推認されるから、前記抹消の記載は抹消としての効力を有するものと解するのが相当である。

この点に関する控訴人の主張も採用することができない。

六本件遺言中控訴人の取得分を定めた部分に「二本松上山林(落葉松)」の記載があること、右記載が原判決別紙第二物件目録一〇番目の字上ノ平七七二七番畑八五平方メートル及び一一番目の同字七八九〇番畑一六一平方メートルを指すものであること、及び右畑二筆について被控訴人武勇が長野地方法務局昭和五〇年六月一〇日受付第五八九六号により、大正一三年七月九日上原保隆家督相続・昭和四八年一二月六日相続を登記原因として、所有権移転登記を受けていることは当事者間に争いがない。

被控訴人らは、遺言書における右のような本来の土地の表示と全くかけ離れた表示は、関係当事者でどの土地を指すかが判明していても、客観的には両者の同一性を示す何らの手がかりもないから無効であると主張し、表示上両者の同一性を示す客観的な手がかりのないことは、これを肯定せざるを得ない。

従つて、右遺言書を不動産登記法三五条一項二号の「登記原因を証する書面」として相続登記を申請しても、登記官は他の資料によつて遺言書の該表示が遺言者の真意として前掲二筆の畑を意味すると認定する権限を有しないから、結果として右申請を受理することができず、従つて右遺言の記載は、登記原因を証する書面たる適格という意味においては無効というほかはない。

しかしながら、遺言制度上、遺産の処分に関する遺言者の意思はできるだけ尊重さるべきものであるから、遺言における物件の表示が客観的には不完全なものであつても、それが一定範囲の人の間で特定の物件を指示する呼称として使用されその結果として遺言に直接の利害関係を有する者で該物件を指示することが明らかである場合には、その表示による遺言は利害関係人間において有効と解してよいと考えられる。ところが被控訴人らは、前記遺言書の表示が上原家の内部で前掲二筆の畑を指示する通称であることを認めているから、本件遺言は相続人間においては有効に該二筆の畑を控訴人が相続すべきことを定めたものというべきである。

被控訴人らは、右表示は黒色ボールペンで後日加筆されたものであり、民法九六八条二項の定める方式によらない加筆であるから遺言として無効であると主張するが、前記乙第一号証の二と右四に示した見解によれば、右加筆は、同条項にいう「加除その他の変更」に当らないというべきであるから、右主張は理由がない。

従つて、被控訴人武勇は控訴人に対し右二筆の畑につき前掲相続を登記原因とする所有権移転登記の抹消登記手続をする義務を負うものというべきである。

七それゆえ、控訴人の本訴請求は、被控訴人武勇に対し右所有権移転登記の抹消登記手続を求める部分については理由があるが、同被控訴人に対するその余の部分及びその余の被控訴人らに対する請求はいずれも理由がないから失当として棄却すべきである。

よつて、原判決中被控訴人武勇以外の被控訴人らに関する部分は相当で、以上の被控訴人らに対する本件各控訴は理由がないから棄却し、被控訴人武勇に関する部分はこれを変更して控訴人の本訴請求中前記理由ある部分を認容しその余を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九五条、九六条、八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(杉田洋一 蓑田速夫 松岡登)

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